2016年8月22日月曜日

岩波講座 日本通史16巻~20巻(近代1,2,3,4,現代1)【通史】読書感想

ベルサイユのばら
20037月から200041月にかけて通読した、日本通史16巻~20巻の通史部分(1850年位から1960年位までの100年間)についての読後感を一まとめにしてみた。
岩波歴史講座の新シリーズ『日本歴史』全22巻が出たので、近現代史(15巻~19巻)についてはこちらの方でもう少し詳しいメモを作る予定にしている。
 
◎日本通史16巻(近代11850-70年代の日本---維新変革(安丸良夫)
歴史の勉強は必ずしも古い順番に読まなくても良いと何処かで読んで一理あると思い、岩波の日本通史は近代からも読み始めてみた。
当巻は、幕末から開国、明治初期に至る1850-70年代及び関連事項を扱っている。そう書いてはいなかったと思うが明治維新は外国の圧力を利用した政権奪取(クーデター)であると思った。そして、その新政府はよくやったと思う。
しかし、上手く行った理由は政府自体とともに下級武士たちの素養の深さ、民衆の率直さ、支配層の道徳観、それらの人々を含めた日本列島の自然などに起因するのではないだろうか。その原因を学ぶことは歴史を学ぶことそのものである。
とにかく西欧で発生した近代国家が、その啓蒙思想とは矛盾する植民地帝国主義の政策に基づいて、利の存在する他の地域国家に仕掛けてくる政策に対抗せざるを得ない突然の状況の中で、しかも必要な思想の理解浸透や科学技術の獲得は当然のことながら間に合わないという状況の中で、我々の先輩方はよく対処してくれたと思う(この巻までは)。
現代の状況と比較して見てみると、科学技術の獲得やそれに基づく経済発展の方はさておき、近代西欧思想の理解浸透の方は遅々として進んでいないように思える。他の国で発生した思想を進める意味をさほど認めないのなら自分達の思想が深められて来たかといえば、そうは思えない。政治文化についてはむしろ後退したとも思える。

◎日本通史17巻(近代21880-1900年代の日本(大江志乃夫)
この巻は、維新直後の混乱も収まり、暴力より世論が政治に影響を与え始め、立憲国家設立の目処が立った頃に起こった明治14年の政変から始まり、日清・日露戦争の勝利を経て欧米列強に準じて帝国主義の参加者となった20世紀初頭頃迄を扱っている。その間に日本が行ったことは、何れも社会の根本問題であり、又極めて変化の激しいものであった。
それは、文化革命である文明開化、産業革命を伴った資本主義経済の導入、フランス革命のような惨劇を回避しての革命的政治体制変革等々である。万世一系の天皇制を権力の正当化根拠とする中央政権体制も、富国強兵・殖産興業政策も、脱亜入欧化思想も、おかしな点を多々含むとしてもそれらは日本が世界で生き残るための手段であったとも言える。
しかし、政府をはじめ官僚も経済人も宗教人も時の指導者の大勢はこの日本列島に住む人々こそが主権者であるという認識を深く共有するほど卓越してはいなかった。また、大衆も近代国家を担う主体として本当の自由を求めて現実的行動をとるなど出来はしなかった。
では、現代はどれほど進歩したのだろうか。当時の体制は天皇主権の立憲君主制だが、その実、制度的にも一部の人々に権力が集中する構造に作られていた。現行憲法は国民主権と謳われているがその実態はどうなのか?。
明治憲法では軍と教育は天皇直轄となっており、国民に対して直接絶大な権力を振るう根拠となっていた。現行自衛隊は主権者である国民が支持する国民のための軍隊なのか?そうでないなら一体何なのか。現代は心や思想の教育はなされていないのでは?それを担う仕組みは集団の文化そのものであるとすると日本列島の住民は自らの文化を破棄したのか?。
明治憲法では軍隊を動かす権力は政府でも議会でもなく天皇が持っているはずだったが、その実、軍部官僚の手に委ねられていく構造であった。時の政治指導者は、政治が軍により牛耳られる可能性があるその様な構造を危惧したが是正できなかった。国家運営上の非合理性が容認されるこのやり方は、現代においても政治文化として変わらないのではないか?。
この時期に起こった日本の産業革命は、軽工業中心で経済の力はまだ弱い一方、足尾鉱山事件に象徴されるように自然と住民の過酷な犠牲を強いた。これは政治状況の反映で今日もそのメカニズムは変わらないのではないか。経済は人間の幸福の目的ではなく手段であり、それを制御するのは政治であることを改めて認識すべきである。

◎日本通史18巻(近代31910-30年代の日本---アジア支配への途(江口圭一)
この巻は、明治政府等が日本を一つの国家として列強による支配から逃れられるまで強く育て上げた後、逆に自国が朝鮮・台湾・中国大陸など東アジア支配に乗り出して、ついには破滅的な太平洋戦争突入する前夜迄を取り扱っている。
ここに記されている事実が発生した本質的理由は一体何であるのか熟考してし過ぎることは無い。ここで説明されていたその理由を簡潔に言えば、それは日本帝国主義の二面性であるが、ではその様な二面性を制御できなかった理由は何なのだろうか。一言で言えばそれは日本列島に居住している人間集団の政治的判断能力・感性及びその根拠となる社会思想の貧困ではなかろうか。
日本の朝鮮併合と満州傀儡国設立は帝政ロシア南下政策の脅威に対抗するためというが、その戦略は歴史的判断に立てば無理押しに見える。先ず現地の人々の意思が軽んぜられており、国家そのものの認識に欠陥があったことを示している。続く対中戦争は殆ど戦略が見えず、前述の政治的二面性(仮想敵国、即ち米英から経済資源の供給を受けなければならない経済弱国にも拘らず軍事大国を目指す)の矛盾が顕著に現出し、プロセスとしては軍の暴走を制御できない政府失政の連続に見える。
そうなるとその後の太平洋戦争に政府が何らかの合理性を考察した否かなど考えるのも馬鹿らしくなろう。対米英欄開戦という国家と国民の命運を左右する重大方針が、御前会議という帝国憲法外の会議において密室談義で決められたことがそれまで70年ほどの歴史を象徴しているように見える。
この時代の思想の特徴は所謂大正デモクラシーから全体主義への短期間の変化の中に示される。「日本人の自由の意識は権力参加への自由に比べて権力からの自由は非常に弱かったので、昭和初期において自由主義なき民主主義が全体主義へ変貌した」、との記述が印象的であった。

◎日本通史19巻(近代41940年代の日本---世界制覇の挫折(由井正臣)
この巻は、太平洋戦争の開始から敗戦後の講和条約に至る1940年代までを扱っている。
日本国の掲げた「大東亜共栄圏」構想は、欧米列強のアジア支配から人々を解放することと称していたが、その実態は自国の富と権力のために他国を支配するものであった。そのことを自らの見識で見抜いた人々が少数派であった事実を正視し、その理由を訊ね、この悲惨な出来事の本質を深く考察し歴史の進歩の糧とせねばならぬと改めて思う。
敗戦後、対日講和条約に至るまでの6年間は、不十分だが以前よりましな暫定的な新政府を通した占領軍(GHQ)による間接統治が実施された。その間、旧体制の解体、新憲法の制定、国際状況を反映した政策の採用等が実施され、それらに基づいて国家が再構築された。
従って、GHQの意向がある限り、日本国の人為的な仕組みは国民の意向よりGHQのそれが優先されるものであり、またGHQの意向も、変化する国際情勢に対するその時の米国の判断を反映したものであったことを理解しなければならない。
一方、人間及びその集団がなしてきたことには連続性があることも理解しなければならない。新憲法に関して言えば、GHQ案は自由民権運動の遺産を継承した憲法研究会の草案に大きく影響されたことや、政府案に対するGHQの重要な改善指導点が国民主権や地方自治の明示という民主政治の基本部分であったことを理解すべし。
世界との関係について言えば、非全面講和、日米安保条約の締結、自衛隊の設置、日本の経済復興等、何れも東西冷戦下での米国の戦略の一環として実施されたもので、日本は独立国の体裁を取ってはいるが、世界体制の中では西側陣営に属する部分として再デビューをしたことを理解すべし。
それらは、今日の日本を今のところ平和な経済大国に成長させもしたが、対ロシア平和条約と北方領土、日本の旧植民地地域及びトバッチリで甚大な損害を受けた東アジア諸国に対する戦争責任、平和憲法と自衛隊と国際協力、米軍基地と安保条約等々多くの課題も残している事を理解すべし。
敗戦の本質は人々の感性・思想と現実の不適合にあったと思う。国家制度としての不備はその結果であろう。即ち、「自由」の概念が現実に不適合であり、それは今でも続いているのではないだろうか。「自由」の思想を具体的にルール化し、それを実効あるものにする手段を追求し続ける以外に人類が自分自身を原因とする滅亡から逃れる方法は無いと思う。

◎日本通史20巻(現代11950-60年代の日本---高度経済成長(中村政則)
ここでは連合国との講和条約締結後、国際政治では東西冷戦構造中の西側陣営への組み込まれ、国内政治では新憲法に基づく民主化とその反動及び基本政策としての経済成長路線を選択した1950-1960年代を扱っている。
日本は、日本のエリートが牽引してきた国家としての近代化の歴史が太平洋戦争の敗戦により一旦停止し、西欧近代民主主義の思想と西側陣営の利害を原理として国家の再構築がなされたといえよう。
米国が近代西欧啓蒙思想の具現国家であったためこの程度の混乱で済んだと言える。そのことは日本にとっても世界にとっても幸いであったろう。冷戦構造が崩壊して10年以上経過した今日、安全保障、教育、地方自治、企業のありかた等々、改めて日本の再構築が意識されるのは当然の成り行きといえるだろう。
安保体制ではなく中立政策を選択することは可能であったろうが、肝心の理論も将来に繋がる現実的な政策もあったようには思えない。国民は日々の生命を維持するのに手一杯でそれどころではなかったろう。従って、ここまでの経済成長路線は正解と思う。
問題は、中立路線を実現する思想を自ら創造し育てることが出来なかったこと、文化の価値を高めるどころか維持すら出来なかったことにある。だから当然、その思想を浸透することもできず、その思想に基づく行動を積み重ねることも出来ず、政党はせいぜい借り物の社会主義思想を根拠にした平和主義を唱えるくらいであった。

更に心の糧や誇りの代りに即物的欲望の充足を求めて社会が荒廃する原因を醸成した。このような状況に至らしめる何か特別な理由を求めているのではない。その点で言えばむしろ然もありなんと思っている。正念場は今から始まるだろう。それに対処するには、専制君主や宗教から開放されて個人の自由を獲得した近代の意味を更に深く理解することから始まる。日本においては市民のレベルであらゆる場面でまさにそのことをなすのが焦眉の急である。

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